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2015-02-05 15:59    クロエバッグsam
 その男と私が初めて顔を合わせたとき、母は、 「ほら、おじちゃんにあいさつしなさい」  と私に言った。それはその男にも聞こえていた筈だった。なのにあとになってそう話したら、 「お前、俺のことおじちゃんなんて言ったのか」 「やあねえ、静子ちゃんたらそんなこと言って」  と二人から責められた。そうなのだ。気づいた時には、私たちはその男のことを「お父様」と呼ばされてしまっていたのだ。そして母は、実父のことを話す時には、「前のお父様」とまわりくどい言い方をするようになっていた。  実父は相変わらず家に寄りつかなかった。たまに家にいてそれも機嫌が良かったときなのか、濃い髭《ひげ》で頬擦《ほおず》りされた覚えがある。それは柔らかい子どもの頬にはとても痛く、本気で逃げ回ったが、狭い家なのですぐに捕まってしまう。ちょっと嫌だったが、母が嬉しそうに笑って見ているので我慢した。  幼児のころ、夏に花火をしたとき、私は家の前の崖の草にうっかり火を付けてしまった。生えている草だから大丈夫だと思って火を近づけたら、すっかり枯れて乾いていたらしく、燃え出してしまったのだ。下は人の家なので、私は慌てた。その時、すぐにバケツの水で消してくれたのは実父だった。実父はとても落ち着いていて、頼もしかった。養父のする様に、その後私を馬鹿と言っていつまでも怒鳴りつけたりもしなかった。  小指の爪だけを長く伸ばしていたのを覚えている。 「どうしてこれ伸ばしてるの?」  と聞くと、 「便利だからだ」  と答えた。牛乳瓶の蓋をその爪で開けて飲んでいた。私も、実父に牛乳瓶の蓋を開けてもらったことがあるかもしれない。  養父が初めて家にやってきたのは母が仕事を終えた真夜中だったという。養父は母の勤めるクラブの客だったのだ。母に誘われて家にやって来たら、めったに帰ってこない実父と鉢合わせして大騒ぎになったのだという。そのときの話を、養父は何度も繰り返して話していた。養父は面白おかしく話しているつもりだったのかもしれないが、その話はちっとも面白くはなかった。私と妹はただぼんやりと聞き、母は目をそらして苦笑していた。  私たちの住んでいた家は、板を張り合わせてかろうじて風を塞《ふさ》いでいるようなあばら家で、あちこちに穴が開いていた。外から帰ってきたとき鍵が閉まっていても、窓についている木の手すりの下に大きな穴があるので、私の小さな体ならそこから家に入れた。体をよじってそこから出入りするのは、子どもの私にとって「こういう家で良かった」と思えるほど面白いことだったが、家の中に便所が無いのがとても嫌だった。すぐ隣だが、一度外に出なくてはならない。雨の日は傘をさして用を足しに行く。裸電球が一個付いていたが、それが切れてしまっていても、なかなか新しい電球をつけてもらえない。そんなとき、夜には懐中電灯を持って行った。