クロエマーシーミニショルダー
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null 西田は狂ったように叫び、ヤエケに向かって「ウタリの敵ぞ、眼をくり抜け!」と命じた。  ヤエケは一瞬怯(ひる)んだが、「何をぐずぐずしやがって!」西田の罵声に圧倒された彼はオコシップの体にがっと跨がり、マキリを立てて右眼をくり抜くと、それを畳の上に叩きつけた。鮮血が飛び散り、その血海の中に耳と眼玉が転がっていた。オコシップは部屋の中を這いずりながら、血だらけの顔を振り上げ、「殺せ! 殺せ!」と、狂ったように叫びたてた。  「右手を潰せ」  いきりたった西田に逆らうことは誰にもできなかった。ヤエケが厚い板を持ってきて、その上にオコシップの右手を載せた。イホレアンは鉄砲の台尻で人差指を打ちつけた。鈍い音がして指は先の方から打ち砕かれた。  ロープを解かれてもオコシップは立ち上がることが出来なかった。知らせを受けて駈け込んできたモンスパと周吉は、ただ呆然としたまま声も出なかった。  「言ってたまるか」オコシップはうわ言のように繰り返す。西田牧場に働いているアイヌたちは、血だらけのオコシップを背負ってゆくモンスパたちを、息を殺して物陰から見詰めていた。 4  家の前のアオダモの葉がさわさわ揺れるころ、川向こうのウツナイ原野に新しい開拓農家が入ってきた。五、六町おきに草小屋が建ち並んでゆく。と思っているうちに、馬耕が始まる。オニガヤの焼き払われた原野には丈低い野地榛(やちはんのき)しか茂っていないので開墾の手間もなく、みるみる黒土が広がってゆく。  「向こう端まで、家は五軒だ」  周吉は眼を丸くした。山菜採りに出かけたエシリたちはポロヌイ峠の頂上から原野を見下ろしていた。  「この勢いで二、三年もしたら、二、三十軒も家が建って、原野は全部畑だな」  エシリは変りゆく大地を寂しげに眺めている。畑が三日月沼やトイトッキ沼の方まで広がれば菱(ひし)の実も、ジュンサイも採れなくなるかもしれない。アイヌの生活が音をたてて崩れてゆくように思った。  原野の果てに茂岩(もいわ)の丘陵がうねうねと続く。「帆掛け船だ」と、眼のいい周吉が最初に見つけて叫んだ。船は大津川をゆっくり遡(さかのぼ)ってゆく。十石船の船体は見えないが、白い帆が鮮やかに目に入る。その一里ほど先にカンカンビラ(腸の垂れ下がった岩)の岩肌が光っていた。ここで十勝川は十勝川と大津川の二股に分れているのだが、「流れが早くてここからが大変なんだよ」と、モンスパが周吉や金造に言って聞かせる。  五十石船は三日に一度大津から帯広(おびひろ)まで通う定期船である。途中、茂岩(もいわ)、池田(いけだ)、止若(やむわつか)など、ところどころに陸揚場が設けられていた。船は食糧を積んで遡り、雑穀を積んで下だった。遡(のぼ)りに二日、下だりに一日を要した。しかし、雨が続き水勢のあるときや、風の強いときには帯広まで三日もかかることがあった。地形の平坦なところにくると、舟子たちは川岸に飛び下りて船を曳いた。